幼い頃はトラックの運転手になりたかった。

保育園に通っていた頃、お誕生日カードを作る過程で保育士さんがわたしに聞き取りをしたら、こういう答えが返ってきて、カードの「大きくなったら」欄にそのまま記入された。

あまり記憶力は良くないので意外だが、自分がこう答えたことはうっすら憶えている。よくわからないけど幼目にはトラックというはるかに大型の機械を運転手がひとりで動かしている、ということがとてつもなくすごいことに見えて、自分も動かしてみたい、とでも思ったんだと思う。

その後、小学校に上がったときには「大きくなったら」は、「テニスの選手になりたい」に変わっていたようだ。で、現実はというと、一般的なデスクワーク労働者に落ち着いています、運動不足です、免許証もうっかり更新し忘れて失効しました。

ただ、現在も大型トラックが荷物の搬入のために地元にあるスーパーの裏側の狭い道に面した狭い搬入口にバックで入って行くところなんかをじっと見る。当たり前だが一発で荷下ろしのためのスペースに付ける。なんともかっこいい。

わたしも運転免許証のために教習所へ通ったので、バックの操作の感覚がなんとなくあって、セダンサイズならともかく、あの大型サイズの操作を完璧にこなすって、なんというか、かっこいい以外に言葉が思いつかない。

あと、大型トラックとはちょっと違うし線路はあるにしろ、電車の運転士にも同じようなスキルを感じるので、すごいよなーと思う。朝の通勤時にはかなりの人数を収容する8両もの列車を操作する、て、いったいどんだけの空間認識能力なんだ!となぜかそのスキルに爽快感を覚える。自分のスキルじゃ全然ないのに。

思うに、素晴らしい能力とか技術などは、自分の手にしたときは確かに誇らしいだろうと想像するが、それを目撃できた時、また別の高揚感がある。自分だけがすごいものを目撃した!ていうお得感なのか?とも考えたが、それを「お得」だと感じるのはその能力や技術に対して憧れを抱いている場合に限られる。憧れを抱くのは、その技術や能力の還っていくところが純粋にこの世の誰かの役に立っている、ところだからだと思う。