少し前だけど、6月14日に国会前で行われた、インボイス制度反対集会をyoutubeのライブ配信で観てた。
そこで順番に発言するそれぞれの業界の人たちの言葉に、感動した。なんていうか真っ直ぐに訴えられた言葉、だったから。何かを背負ってるのではなく、その人自身から出た”その人”が、その言葉にあった。
そういう風に誰かの言葉を感じたことが今まで無かった、みたいに感動した。
自由、とか言ってしまうと誤解を生むだろうけど、それだと思った。言葉の受け手が誰なのかとか、どう受け止められるのか、とかが多分ほぼ考慮されていない言葉だった。正直な言葉だった。人を信じてる言葉だった。多分聞き手が同じ社会に暮らす人であるなら、その言葉が誰かを傷つけることはないだろうと思う。
最近のわたしの周辺の言葉が、どれほど荒んでいるか、がわかってしまって、しかもわたし自身がわたしを言葉にしていなかったことを思い知らされた。
それぞれの業界の人たちの言葉は、純粋に自分たちの幸せとそれを支える人たちや共有する人たちの幸せを願う言葉で、個人的なのに世界が大きかった。
不思議なんだけど、直接わたしに向けられた言葉のように感じられて、泣けた。優しい言葉だったんです、わたしにとっては。
そこに居るのか居ないのか、すらもジブンじゃ決められなくて、居るよと訴えることもできず、存在感を得るために頑なになってた。その状態は、わたしが望んでる状態ではなく、だからこそジブンがかわいそうにならないように、慎重に言葉や思考を選んで、すごく疲弊する日々で、それが普通になってた。
そういうわたしに、あの集会で発言された言葉がどれほど響いたか。もうこれはなんと言おうとわたしにしかわからない。
生き方を変えよう、と思った。可能かどうかは別として。